神戸にきて三週間

 

今日で神戸に越してきてちょうど三週間が経ちます。はやいですね…
人間関係や神戸の街並みにも慣れてきてようやく落ち着き始めたころですね。
色々思うことがあるので、個々では適当に適度に、自分の頭の整理のためにつづろうと思いマスマティックス。

 

こどもが世界をよく知らないというのはこのことで、経験のないこと未知のものに対しては、興味があれど知っているつもりでも、実のところ知らないことが多いのが現状。

自分の興味のまま(その他、付加要素もあるけど)に来てみれば、そこが世界の始まりとして着てみれば、本当に入り口のそのまた入り口であったりする。これは、自分の研究のことを言っているのだが、生活にしろ何にしろそんなものだろう。

 

自分の性格j上、達観するというか物事を見越したがるというか、たまに考えすぎとも言われるが、思慮深く行動しないのはやはりよくないところなのだろう。効率や合理性を求める考え方は、知識や状況判断などの経験を上に成り立つべきで、もちろん自分にもそれがあると思うのは自分を保つうえで大事なのでそう思うことにしているが、まだまだ未熟である。初めての作業の説明等に口を出すのはよくなくて、感謝の気持ちは勿論あるが、効率の悪さについついフォーカスしてしまう。自分にとっていいことや楽しいことよりも、何か失敗してしまったことや悲しかったことに重点を置いてそこに注目してしまう癖が災いしているのだとすれば、なんと悲しきことや…二回りも生きていない人間が何をそんな大層なことをと親や厳しい人は思うかもしれないが、自分なりに分析した結果であり、やはり認めてほしいのである。その考えやたかが二十年の経験を。話はそれていく一方だが、やはり”愛情”は、少なくとも私は生きていくうえで最も重要なものであり、それに飢えている気持ちは拭いきれない。それは、いろんな本を読んだり人と話す中で親との関係性を疑って色々思うが、そこに泣きついてもしょうがなくこれからどうするかが大事であることはわかっていても、やはり拭いきれない。祖父母とはうまくやれているのに…

やはり顔が似てるか似てないかと類似して私は、鬼子なのかもしれない。祖父とは日本酒が好きなところが似ているし、祖母とは鼻や目が似ているように思える。隔世遺伝であるのかもしれないし、そういった論理的な解釈を除いても、祖父母と同じ時を過ごすのは素晴らしく幸せなことだと思っている。論理的な思考も大事であるが、直感や感情といった論理的に話しきれない、そこから湧き上がってくるようなものは大事だと思ってて極力、目を向け大事にしたいと思っている。

ここまでを見返してわかるように他人に向けて書く文ではなく、いわば日記であることを明言しておこう。自分のためにも。